我が家には、現在幼稚園に通う3歳の娘がいます。
私にとっての初めての子育て。
もう、大変な日々でした!(笑)
必死に駆け抜けた3年間でした!
そして、そんな毎日はこれからもずーっと続いていくと思いますが、ひとまず「3年間」という一つの区切りとして、今まで苦労したこと悩んだことなどを振り返ってみたいと思います。
題して、「初めての育児で大変だったことを振り返ってみた【新生児〜3歳編】」
あくまで私目線ではありますが、自分自身の記録として。
あとはもし今現在、辛い育児をされている方がいれば、「辛いのは自分だけじゃないんだ」と安心していただきたいのです。
ぜひ、同じ気持ちを共有しましょう!
初めての育児で大変だったこと(新生児〜3歳まで)
では早速〜!といきたいところですが、その前にちょっと我が家の状況についてだけ先にお伝えさせてください。
家族構成 | 夫、私、娘 |
居住地 | 札幌市 |
実家 | 夫婦共に本州 |
※転勤族で実家も遠方のため、近くに頼れる身内はいない状況です。
そんな我が家に待望の娘が生まれたのは2017年のこと。
あれから3年・・・。
うーん、濃かった!(笑)
ということで本題に入ります。
産後すぐのメンタル崩壊
この気持ちは一生忘れることが出来ないと思います。
そのくらい強く心に焼きついた気持ちです。
娘を産んで自宅に帰ってきたとき、メンタル大崩壊が起きました。
今思えば当時、「赤ちゃんとの生活」のイメージが全然出来ていなかった私。
自分の中での「赤ちゃんとの生活」のイメージは、夫婦二人の生活の中に赤ちゃんが仲間入り!という感じで、楽しい♪ワクワク♪の思いしか持っていなかったんですよね。
でも、実際娘との生活が始まると現実は全然違った・・・。
赤ちゃん中心の、赤ちゃんのための、赤ちゃんがいる暮らし。
マジでこんな感じです(笑)
今考えれば、「そりゃそーだ!」と思う話ですが、実際に生活してみないと分からんもんです。
そして、この事実を目の当たりにした私は、産後の気持ちの不安定も相まり、メンタル大崩壊!
「新しい生活が始まる!」というハッピーな気持ちよりも、「今まで作り上げた暮らしが完全に無くなってしまう・・・」というマイナスな気持ちの方が断然大きかったです。(すまぬ、娘!)
大袈裟じゃなく、人生第2章が始まってしまったな・・・と思いました。
まぁでも!
そこから3週間位経てば、人間、どんな環境でも慣れてくるもので。
現実を受け止め、自分なりの新しい生活リズムを作り、ゆっくりゆっくりと母になっていったように思います。
誰だって、最初は戸惑って当然ですよね。
生後半年での入院
これは、娘がちょうど生後半年を迎えた頃、風邪を拗らせ気管支炎で入院したときの話です。
初めは軽い風邪症状から始まりました。
咳と鼻水。
すぐに近くの小児科へ連れて行き診てもらい、流行りの病気など一通りの検査をするも全て陰性。
その日は風邪薬をもらって帰ることになりました。
その後、数日間薬を飲みましたが、良くなったりまた悪化したりの繰り返し。
そんなこんなで小児科に通う日々を過ごしていました。
そして、最初の症状が出始めてから10日経った頃、とうとう母乳を飲んでもすぐに戻してしまうようになったのです。
一気に心配になった私は、すぐに小児科に向かいました。
娘の様子を見た先生は、「念のため、大きい病院に行ってみましょうか。」と。
この10日間小児科に通い詰めていたということや、あと、この日はちょうどお盆休みの前日だったということもあり、紹介状を書いてもらえることになったのです。
私は正直、「あぁ、良かった・・・」と心から思いました。
それまで、
・薬を飲んでも快方に向かっている気がしない(むしろ悪化してる?!)
・日中誰にも頼れない孤独な看病
という中で、「この小さい命は私が守らねば・・・!」という恐怖心とずっと戦っていたので、精神的にもギリギリまで来ていたのです。
その後、夫に連絡をし、すぐに大きな病院へ向かいました。
そしてそこで改めて検査をしたところ、原因が判明!
(どうやら風邪を拗らせてしまっていたよう。病名としては「気管支炎」でした。)
この日から5日間(お盆期間丸々)、母子同室で入院することになり、それから娘もどんどん回復!!
娘と一緒の窮屈なベッドでしたが、ようやく私もやっと安心して眠ることが出来たのでした・・・!
あれから3年ほど経ち、その後様々な病気も経験しましたが・・・、
やっぱり、子どもの体調不良って慣れることは無いです。
ちょっとした風邪だってすごく心配だし、「悪化したらどうしよう?!」とすぐに恐くなってしまいます。
ほんっと慣れません。
でもきっと、これからもそんなことの繰り返しですよね。
もっと強い母にならねば!と改めて思います。
離乳食を全く食べない問題
これは辛かった〜!!!
何度泣いたことか・・・。
育児ノイローゼの時期とも重なり、今でも色濃く記憶に残っているのが、「離乳食を全く食べない問題」です。
もう、母乳しか受け付けないんです。
でも母としては、離乳食を食べる時期なんだから・・・と思い、「食べさせなきゃ、食べさせなきゃ・・・ブツブツブツ・・・」と、念仏を唱えるように必死に与えていました。
それでももちろん、断固拒否の娘。
たまーにバナナは食べたかな。
でもそれだって気分次第。
「食べなさい!」と強い口調から始まり、「どうして食べてくれないの〜?!(悲)」と嘆き悲しみ、最終的には、「なんなのさぁぁ?!(怒)」と、怒り狂っていました。
これが毎日。
そして数ヶ月間も続く。
地域の保健センターに電話相談したこともありました。
相談のつもりが電話口で号泣してしまい、喋れなくなってしまったことも。
この時期は、自分のことも娘のこともかなり責めていましたね・・・。
ダメな母娘だと。
本当に笑顔のない毎日でした。
しかーし!
この問題は、娘が1歳5カ月で卒乳したことによりアッサリ解決。
母乳をやめてからはモリモリ食べるようになりました。
私のイメージでは、離乳食を始めることで食べ物の美味しさを知り、だんだんと母乳からご飯へ移行していくのかな?と思っていたのですが、実際は全然違いました。(うちの娘の場合は)
娘にとっては、その頃母乳が絶対的存在で、母乳があるのにご飯を食べるという状況があり得なかったんですよね、きっと。
ちなみに娘は、断乳ではなく卒乳でした。
手足口病にかかってしまい、口の中が痛くで母乳が飲めなくなってしまったんです。
そしてそのまま卒乳でした・・・。
これも正直、かなり予想外の展開!
母乳命!の娘だったのに。
うーん。子育てって何が起こるか分からない!
その子によって、成長の仕方も順番も全然違いますよね。
言葉が出なくて悩んだ日々
初めて子育てをする人であれば、多かれ少なかれ必ず考えるであろう、子どもの言葉問題です。
私は元々、育児本などを読み込むタイプではなく、発育の目安などについては母子手帳などを見ながらなんとなく頭に入れている程度でした。
(普段あんなに心配性なのに、ここに関してはゆるい。これは自分でも意外な一面でした!)
というのも、娘は身長も体重も、生まれてからずっと大きめをキープ。
首すわりやハイハイなど、発育についても平均的な成長だった為、これまであまり真剣に考えたことが無かったんです。
そんな私が、娘の発育について初めてぶち当たった大きな壁が、この言葉問題でした。
まー、なかなか喋らなかったんです、我が娘。
2歳頃の時点で、単語はいくつか話すけれど、いわゆる二語文というのが出ていませんでした。
例)「ワンワン キタ」 「オカシ チョウダイ」など・・・
この二語文については、母子手帳の2歳の成長の基準としても記載されていたので、結構心配しました。
ネットで同じような状況の子を検索したり、初めて真剣に育児本を読んでみたり。
多分、自分の中で、「女の子は言葉が出るのが早い」というイメージが強かったせいもあると思います。
だけど、もう結論を言ってしまいますが、2歳3ヶ月あたりから、突然ペラペラ喋り出しました!
本当に突然!
いきなり言葉が増えたので、とても驚きました。
二語文の時期・・・うーん、あったかな・・・?(笑)
その段階をすっ飛ばして、突然長めの文章で会話を始めたような感じです。(多分、多少は二語文を話していたかもしれませんが、思い出せないくらい一瞬だった。)
子どもの成長って十人十色。
ネットの情報だって育児本だって、あくまで目安程度なんだなぁと、改めて知った出来事でした。
初めての育児!いっぱいいっぱいで当たり前
こうやって振り返ってみると、いつも私は悩みまくりだなぁって思います。(笑)
3年間振り返っただけでこんなに盛りだくさん。
今回挙げたどの場面も、3年間で考えるとほんの一部分にしかすぎないのに、その時はそのことしか考えられていなかったな、と自分の余裕の無さも痛感します。(苦笑)
でもそれって、当たり前のことですよね。
だって、起こること全てが「初めて」なのだから。
これからも、そんな「初めて」にたくさん出会うと思います。
もっともっと悩むことだってあると思います。
悩むのは当たり前。
でも、その悩みに心が完全に潰されてしまわないように、物事の良い面に目を向けられる少しの余裕も持ち合わせていたいと、今回改めて思いました。
最後になりますが、今回お話した内容は、あくまで私、そしてうちの娘の場合の話です。
全く当てはまらないこともあると思いますので、参考程度にしていただけたらと思います。
この記事を読んでくださった方の毎日が、より豊かで明るい日々になりますように。